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2011年12月31日(Saturday)

死化粧・・・・美しさが甦った

41歳の若さで亡くなった女性・・・とても奇麗な女性でしたが、病は心も蝕んでいたようだ。そのためか、髪は真っ白、頬もこけてしまった。・・・あまりの変わりように、遺族は葬儀後のお別れをせず、そのまま出棺したいと言っていた。・・・・美しいイメージを壊したくない・・・そういう気持ちであろう。
通夜の始まる前・・・死化粧を試みた。・・・元々美人なためか・・・みるみる内に奇麗になってゆく、顔についていた打撲のあとだろうか・・・その痣が消え。血色を失った顔色にも紅色を加え赤みが出てきた。唇にはルージュを・・・ドンドン美しくなってゆく。残るは髪・・・真っ白になった髪を赤く染めていたのだが・・・・最期はどうでもよくなったのか・・根元から4cm位が染まっていない、だから、顔が老けてみえる・・・。遺品の中に本人が使っていたハンカチがあったため、それを頭に被せ白くなった髪を隠した。・・・・完全とは言えないが、かなり、美しさが甦った。これなら、お別れもできそうだ。しばらくすると、故人の母親、姉、義兄、姪が式場に到着した。
式場に入り、棺を覗いて・・・・驚いた様子「奇麗になっている!」・・・・私を見つけると「あんなに奇麗にしていただいて・・・・ありがとうございます」・・・目から涙がこぼれている・・・・お姉さんも、同様・・・。
翌日の葬儀のあと・・・通常のとおりに棺の蓋を開け、遺族、一般もお花を入れ、お分かれをすることができた・・・。
2011年12月30日(Friday)

火葬の直前に・・・警察から火葬中止の依頼

ある葬儀屋さんから聞いた話し。飛び降り自殺で亡くなった方の遺体が検死を終え、通常通りに納棺の後、火葬場に搬送され・・・翌日、荼毘に付されることとなった。
そして、火葬場で、いよいよこれから火葬・・・と言う時に、警察から火葬場に電話が入った・・・「火葬を中止してください・・・調べることがあります」ということだった。
結局、外傷の様子から、不信あり・・・との見解がでて、もう一度検死のやり直しとなったのだ。飛び降り自殺のときの外傷と突き落とされた時の外傷には、それぞれ特徴が異なり・・・今回の場合、突き落とされた可能性もあるということらしい。・・・・火葬場の職員も葬儀屋も遺族も皆ビックリ。
2011年12月29日(Thursday)

原発被害の闇

12月13日、歌舞伎俳優の坂東玉三郎さんと東丘が福島を訪問した。マネージャーの中本氏と3人の・・・まるで、「水戸黄門道中」みたい。今回はライオンズクラブは東京のお偉方が同行・・・福島からは第二地区ガバナーの安澤さんが同行してくれた。
でも慰問してみて分かったことがある。・・・それは、地震や津波の災害は少しづつ復興し先が見えてくるのだが、原発による避難者は先が見えず、不安だらけ・・・財産も奪われ、職も奪われ・・・その憤りは政府や東電に向けてみても、解決の道は険しい。だから、暗く憂鬱なのだ。今回、2か所の避難所を訪問した・・・はじめの処は、玉三郎さんが来たということで大歓迎・・・・手で編んだ敷物をプレゼントする人もいて、終始和やかだった。しかし、次の避難所では、お年寄りがほとんど・・・希望もなく、ただ生きている・・・そんな感じ。暗くどんよりした空気に、同行者は思わず「まるで、アウシュビッツみたい・・・」と、思ったという。
時間が限られているため、握手、サイン、ツーショット撮影はNGということにしておいたのだが・・・それを聞いた、ある婦人が玉三郎さんに近付き「歌舞伎俳優は、握手もしないんだ・・・よく覚えておくわ・・・」と毒付いたのだ・・・・。近くにいた、同行者は驚き凍りついた。忙しい日程を縫って被災地を訪れ、多額の寄付までしてくれた人に毒付くとは・・・・感謝しなければならないのに・・・。玉三郎さん「ごめんなさい・・・」と、その場は納めたが・・・・車に乗ってから、釈然としない様子。そりゃそうでしょう、随分と失礼な人ですよ・・・。そして、「ここには、もう来たくない・・・・でも、それだけ病んでいるんですね・・・」と、ポツリと呟いた。
原発の被害の闇は深い・・・・。
2011年12月28日(Wednesday)

お宅に葬儀をお願いして正解でした。

昨日は集金デー。1日で4件の集金をした。その中の1件・・・施主は弁護士・・・法律事務所に伺い精算。帰り際にその弁護士「お宅にお願いして正解でした」と言ってくれた。嬉しい一言です。また、別の人が別件で施主の自宅に電話すると、施主の奥様が出られ・・・「いいお葬儀ができました」と、またお褒めの言葉を頂戴した。
こういう言葉を頂くと、葬儀屋冥利につきる・・・・って感じ。こういう経験を何度もしていると、葬儀屋をやめられなくなる。担当を経験した葬儀屋はほとんどがこの業界からは出て行かない・・・ここらへんにその理由があると思う。
2011年12月26日(Monday)

10数年前の葬儀のリピートが・・・・

会社の電話がなり、「大杉さんですか?大杉さんいる?」という、唐突なセリフ・・・電話に出た社員は何が何だか分からない・・・?しばらくして、気を取り直したのか「あの・・・以前・・・大杉さんに葬儀でお世話になった○○という者です・・・・今度は娘が亡くなりましたので、大杉さんにお葬儀をお願いします・・・」
連絡を受けた私は、車の運転の最中だったが、すぐに車を止めて会社から聞いた電話番号に電話した・・・。住所と名前を聞いて、すぐに思い出した。・・・もう12~13年前のこと・・・雪の日だった、新宿の家に伺い葬儀の相談をした。ご主人を亡くし、残ったのは奥様と美人の二人姉妹・・・。印象に強く残っていたので、すぐに分かった。しかし、亡くなったのは・・・奥様じゃなくて・・・娘さんだという・・。まだ若いはずなのに、どうしたんだろう・・・?
自宅に着き挨拶すると、お母さん「娘は、今、警察署に安置されています・・・」この言葉でおおよその事態は呑み込めた。
「10数年たっても大杉さんのことは、よく覚えていますよ・・・たいへん良くしていただきました。今度もまたお世話になります」・・・・未だに覚えていてくださり、本当にありがたいことです。施主は落合斎場での葬儀を希望していたので・・・落合斎場に電話・・・すると、30日通夜、31日告別式の部屋が一つだけ空いているという。今年、最後の一つの部屋である、この部屋を押さえ予約した。ぎりぎりセーフ、これを逃したら、葬儀は来年に持ち越されていた。良かった。